月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年4月20日(木)

ローマ6章 「キリストの犠牲と死」からの益

わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。(ローマ6:6-7)

 90歳近くのご婦人から、「先生、復活があることは嬉しいのですが、いったい何歳くらいで復活するのでしょうか」という質問を受けました。「そのことについて聖書にはっきりと記されていませんので答えられません。神は決して悪いようにはなさらないでしょう」と答えるのが精一杯でした。

 何歳で復活ということよりも、二度と罪の奴隷にならないということを心に強く留めたいと思います。もし輪廻転生のようなかたちで生まれ変わったとしても、また罪ある世の中に罪深い者として存在するならば、永遠に地獄なのではないでしょうか。

 私たちはキリストの十字架により罪が赦されても、地上にいる間は罪の残りかすを拭えません。そのような骨の髄まで罪深いわたしが、イエス・キリストを神の子救い主と信じるだけで、二度と罪の奴隷とはならないという特権が与えられる、この破格の恵みに与ります。キリストの十字架の死を、わたしが生かされるためと信じて死ぬならば罪から解放され、さらに復活のキリストと共に、何歳のわたしであっても永遠の御国で生きることが許されます。

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