月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年4月7日(金)

ローマ8章 死をもたらす律法が命への導き手に

神は…御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。(ローマ8:3-4)

 キリストを信じて義とされた私たちはさらに、真の義人であるキリストに似たものに変えられ、霊的に清められていきます。これは聖化と言われ、聖霊の神の主権的、恩恵的な働きで、私たちをキリストと一つにしてくださったことの実りです。

 私たちの信仰の歩みの規準(また基準)となり、これを促すのが、実は、キリストが守り行われた同じ神の律法なのです。律法は罪人に対しては、神の義として死を啓示します。それゆえ、私たちの罪深さを担われた主は律法によって裁かれました。その結果、律法は私たちにもはや死を啓示するものではなく、救いの完成に向かって歩むための命の道を示すものとなりました。

 キリストが私たちの義認のために守り行われた同じ神の律法を、私たちは聖霊の恵み深い導きの下に、聖化の基準および目標として守り行います。パウロは聖霊が働いてくださる私たちこそ、律法の要求(神の御心)を行うことができると明言し激励しています。それは決して律法主義者のようにではありません。律法主義は死に向かう道ですが、律法そのものは神の恵み深い御心です。

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