月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年3月18日(金)

ルカ19章 賜物を隠さないで

「主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』」(ルカ19:17)

 ムナのたとえでは、違う生き方をした人たちが出てきます。主人に忠実でなかった僕は、預った1ムナを布に包んでしまいこみ、主人が命じたように商売をしませんでした。他方、忠実な僕たちは商売をして、それぞれ10ムナと5ムナを稼ぎました。

 預ったお金は1ムナずつ、現代でいうなら百万円くらいでしょうか。これは商売をするには僅かなお金を託したという意味です。しかし同じお金を預っても僕たちの態度は違いました。不忠実な僕は主人が「恐ろしかった」のでした。彼らの分岐点は、主人を見るまなざしです。

 このたとえの主人は主イエスです。主人が王になって帰ってくるのは終末の日のことですが、個人的な終わりの日ととらえることも許されるでしょう。終わりの日に、貧乏くじを引いた人生だったと言うなら、不忠実な僕と同じです。

 しかし、私たちの目には貧乏くじを引いたと見える人の方が、すばらしい働きをすることがあります。神からいただいた命を燃やすとき、そこに輝きが生じます。賜物を用いるように神は招いておられます。

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