主が「捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった」とうたい出されています。つまり、この人は、そこから連れ帰ってもらえることは夢としか思えないような「捕われ」の中に閉じ込められてしまっているようです。しかし、その「捕われ」から連れ帰ってもらえるなら「わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう」とか、「わたしたちは喜び祝うでしょう」と期待します。その期待が「主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください」、わたしたちを「捕われ」から連れ帰ってくださいという祈りになりました。涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる。(詩編126:5-6)