月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年1月31日(日)

詩編123編 嘲笑され侮られる苦しみ

わたしたちを憐れんでください。
主よ、わたしたちを憐れんでください。
わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。
平然と生きる者らの嘲笑に
傲然と生きる者らの侮りに
わたしたちの魂はあまりにも飽かされています。(詩編123:3-4)

 「目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます」と歌い始めるこの詩編は、「主よ、わたしたちを憐れんでください」と繰り返し求めます。エリコの盲人も求めた「主よ、憐れみたまえ」(キリエ・エレイソン)という求めを、教会は古来から、大切な礼拝要素としてきました。

 私たちが「主よ、憐れみたまえ」と祈るのはなぜなのでしょうか。それは、私たち自身が神の御前に罪人であるがゆえです。しかし、それだけではありません。もう一つ聖書がつねに敏感である苦しみは、人から「恥」や「嘲笑」や「侮り」を受けることの苦しみです。この詩編はとくにこの苦しみのことを「憐れんでください」と訴えるのです。主はどのように憐れんでくださるのでしょうか。

 福音書の十字架の場面は、主イエスがローマ兵からもユダヤ人からも「嘲り」「侮辱」「ののしり」を受けられた苦しみを強調しています。ここに私たちへの憐れみがあります。このように主は私たちに答えてくださっているのです。だからこそ讃美歌136番が歌うように「悩みと恥にやつれし主を、我はかしこみ君と仰ぐ」のです。

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