月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年1月28日(木)

ルカ11章 幸いなのは誰か

イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」(ルカ11:27-28)

 群衆の中から女が、主イエスの母の幸いを謳いました。このように立派な教えを説く息子を産み育てた母親は、どんなに誇らしいだろう、と。主イエスは言われます。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」。

 主イエスの母マリアこそ、神の言葉を聞き、それを守った人でした。天使の告知に「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と応え、主イエスを胎に宿しました。赤子の主イエスが乳房を吸ったのは、馬小屋でのことでした。礼拝しにやってきた羊飼いの話、メシアを待望していたシメオンの言葉、神殿での少年イエスの言葉など、不思議に思いながらも心に納め、神の約束に信頼して歩みました。十字架で苦しむ息子を見守り、復活を喜び、約束の聖霊を待ち望んで弟子たちと共に祈りました。

 マリアの幸いは、主イエスの母であるということ自体よりも、むしろ神の言葉を聞き、それを信じて自分を明け渡し、神の約束が成るのを見たことの中にあります。私たちも御言葉を心に蓄え、信頼して歩むなら、神の約束が私たちの歩みの中に成るのを見ることができます。

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