月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年12月8日(火)

イザヤ54章 神は憐れみに富む

わずかの間、わたしはあなたを捨てたが
深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。
ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが
とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと
あなたを贖う主は言われる。(イザヤ54:7-8)

 個人も社会も、歴史の中で苦しみもだえる経験を続けています。もっと違った、もっと穏やかな道がないものか。目を伏せ首を振りながら嘆きを繰り返す私たちです。けれども、イザヤ書を通して語り続ける主は、人間とその歴史が、苦悩と嘆きに満ちたものであることに、まっすぐ向き合っておられます。

 神は、イスラエルの民を「わずかの間」捨てられました。捕囚はイスラエルの存亡にかかわる重大な試練です。選びの民が直面する試練。その原因が、民自身の背きと罪にあることは、まぎれもないことです。捨てられ、見放される屈辱を、不当な扱いだと言い開きする権利は、人間にありません。抗弁する資格も権利ももたない私たちのために、一人の僕が苦難を背負われました(53章)。苦難の僕による罪の贖い。その愛と憐れみによって、神の民の嘆きは「わずかの間」で終わりを告げるでしょう。

 それに対して、神の慈しみは「とこしえ」です。神が御顔を隠されるかに思える霊的な闇夜は、やがて過ぎ去ります。神の強い御手が、とこしえの愛で私たちを「引き寄せる」日が近づいています。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2015 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.