月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年11月3日(火)

ゼファニヤ2章 ユダへの悔い改めと異邦人に対する裁き

主を求めよ。
主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた
この地のすべての人々よ
恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。
主の怒りの日に
あるいは、身を守られるであろう。(ゼファニヤ2:3)

 「主の日」は裁きの日、怒りの日として、神の正義が明らかになる日です。罪を徹底して裁くのが神の正義です。そこで、預言者ゼファニヤは、「共に集まれ、集まれ、恥を知らぬ国よ」(1節)と呼びかけつつ、「主を求めよ。…恵みの業を求めよ」と悔い改めを促しています。

 特に、ゼファニヤの「すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ」(3節、口語訳)という表現に注目する必要があります。悔い改めて神に立ち帰る人は、神の御前に謙遜な人です。神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになります。洗礼者ヨハネが「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」(マコ1章4節)理由もここにあります。

 それからゼファニヤは、ユダの周辺の代表的な国々、すなわち、ペリシテ、モアブとアンモン、クシュ、アッシリアに対して裁きを語ります。これらの国の人々がユダの滅亡をあざ笑い、神を無視し、高慢に振る舞ったからです。異邦人もまた主の前にひれ伏す時が到来します(11節)。神の裁きと救いの御業は、全世界におよび、「キリストの再臨」によって明らかになります。

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