月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年7月18日(土)

2コリント6章 主にあって生きているわたし

人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。(2コリント6:9-10)

 パウロは、神からいただいた恵みを無駄にしてはいけないと教えています。恵みを無駄にしないとは、自分に与えられた使命に専念することです。

 事実、パウロは、福音宣教の活動をどんなことがあっても、人に罪の機会を与えないで、神に仕える者として、その実を示していると自分で述べています。その実を示すために、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓といったすさまじい苦難を経験してきました。パウロはこの苦難を乗り越えていました。真理の言葉、神の力が彼の支えとなっていたからです。

 究極とも言える苦難を味わったパウロは、神の力と言葉において、主にあって生きている、主が生かしておられると何度も思ったでしょう。その使徒パウロの告白が、「人に知られていないようでいて、よく知られ…」といった美しい言葉となっているのです。

 私たちもパウロのように、悲しんでいるようで、常に喜び、無一物のようで、すべてのものを所有しています。このように生かされていることを主に感謝し、前を向いて生きていきましょう。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2015 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.