パウロは、主の霊のおられるところに自由があると言います。またパウロは、これは主ご自身がお与えになる自由であり、「文字ではなく霊に仕える」(6節)自由であると言っています。旧約の民は、律法をもち、守っていましたが、どれほど頑張っても、キリストが与えてくださるこの自由を満喫することはできませんでした。主イエス・キリストを信じる信仰によってこそ、与えられる自由です。主イエス・キリストによって与えられた新しい契約に基づく自由です。ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。(2コリント3:17-18)