月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年3月19日(木)

イザヤ11章 希望の若枝

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。(イザヤ11:1-2)

 切り株を見るときに、二つのことを思います。ひとつは、切り株の太さに、昔そこに生えていた木の高さと大きさを思います。そして、もう一つは、今はその大木はもうないという現実です。切り株は、昔栄えた樹木の残骸です。しかし、その切り株から、芽が生え出ているのを見るときに、そこに新しい希望の始まりを感じます。

 当時の北イスラエル王国も南ユダ王国も、滅亡の道を歩んでいるように見えました。実際、大国によって侵略を受け、独立を失う時代を迎えます。しかし、神はイザヤを通して、神の国の希望を前もって語り聞かせています。切り株には、ダビデ王の父であるエッサイの名が使われます。やがて来る王が、ダビデの血筋に連なる者であることを暗示しています。そのエッサイの株から出た新たな王には、主の霊がとどまって、正義と公平と平和が実現します。

 黙示録の最後で、主イエスはご自分を指して「わたしは、ダビデのひこばえ(切り株から出た芽)、その一族、輝く明けの明星である」と語ります(黙22章16節)。私たちの救い主イエスこそ、エッサイの株から出た若枝です。

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