ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。(ヘブライ2:14-15)
何かいやなことがあると、もう死んでしまいたい、と思うことがあります。しかし、実際には、死ぬことは、とても厳しい、厳粛なことです。
愛するペットの死でも、私たちは、大きな痛みや悲しみを味わいます。身近な人の死はなおさらです。死は、愛する者同士を引き離します。自分の死は、愛する者たちを地上に残して去っていく悲しみでもあります。
私たちの主イエスもまた、愛する者の死を悲しまれました。ベタニア村のマルタとマリアの兄弟、ラザロが死んだときです。兄弟の死を悲しむ者たちと共にいて、主イエスは、涙を流されました。主イエスご自身をも悲しませ、涙を流させるもの。それが死です。
死は最強の敵です。しかし、その最強の敵を、主イエスは、ご自分の十字架の死によって、打ち砕いてくださいました。復活によってです。
「もう怖がることはない。わたしイエスが、死のとげを抜き取ってあげたから」と、復活の主は、私たちに、今、語りかけておられます。
私たちは、死の恐怖の奴隷状態から解放されています。主よ、感謝します。
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