月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年3月2日(日)

詩編49編 富ではなく、主に依り頼む

しかし、神はわたしの魂を贖い
陰府の手から取り上げてくださる。
人に富が増し、その家に名誉が加わるときも
あなたは恐れることはない。
死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず
名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。(詩編49:16-18)

 聖書には、富に望みを置くことへの警告が数多く記されています。この詩もそうです。やはり昔から根深い問題なのでしょう。富自体を悪としているのではありません。頼るべき神に頼らず、富を頼りとすることを戒めているのです。

 一つの視点は、死ということです。詩人は、肉体的な死ということでは、人も動物も変わらないとまで言います。その死に際しては、富は何の役にも立たず、魂を贖うこともできません。それに対して詩人は言います。「しかし、神はわたしの魂を贖い 陰府の手から取り上げてくださる」。詩編の時代のことですから、そんなに明確に復活や永遠の命についての理解はなかったと思われます。それでも、神に頼っているならば、死をも乗り越えられるとの信仰を表しています。主イエスも教えられました。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」(マコ8章36、37節)。死にも勝利した主イエスに一切依り頼みましょう。

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