月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年12月19日(木)

ルツ1章 不幸の中でも神を忘れず

「出て行くときは、満たされていたわたしを
主はうつろにして帰らせたのです。
なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。
主がわたしを悩ませ
全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」(ルツ1:21)

 すべての出来事は、全能の主の許しの中で起きています。もし自分の身に大きな不幸が起こっても、その不幸を主が許したことと認めるなら、その中で、主の深い御計画へ心を向けることができます。

 ナオミは、モアブという地へ移住し、新たな生活を夢見ましたが、夫も息子たちも死別するという不幸が襲いました。喪失感の中でうつろになりながら故郷に帰国します。不幸は主が与えたと、ナオミはどん底の中ではっきりと口にします。「主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされた」。

 ナオミは、主の業にかかり、主にそのことを告白しています。主の業と認めるところに、主への語りかけが生まれます。どのような不幸な状態にあっても、そこで主に語りかけることができることは、慰めであり、希望です。

 不幸だけを見つめていると、いつまでも不幸から出られなくなってしまいます。しかし、私たちを愛する主は意味もなく不幸を与えはしませんし、それに勝る幸いを約束しておられます。主の御手の届かないところはありません。私たちはどのようなときも主の御手の中に置かれています。

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