誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。(2コリント11:30)
めったに自分を誇らないパウロがコリントの信徒たちに対して自分を誇っています。なぜでしょうか。
パウロの伝道により建てられたコリント教会に偽使徒たちがやってきました。彼らは教会の報酬をもらわずに奉仕をしたパウロに使徒職に欠陥があるのではないか、福音宣教のために相応しくない者ではないかと非難しました。そればかりか、自分たちこそ相応しい使徒であると誇っていました(13節)。
それに対してパウロは自分の弱さ(投獄、鞭打ち、死ぬような目にあったこと、夜逃げしたことなど)を前面に出して誇り始めます。
自分の苦難自体を誇ろうとするものではありません。自分の弱さに目を向けさせようとするものでもありません。強く働いてくださる主イエスのみに希望があり、主イエスのみを仰ぎ見るようにと強く訴えているのです。
いろいろな問題の中で行き詰まり、自分の弱さに悩む時があります。その時こそわたしの罪のために、十字架で死んでくださった主イエスを誇ろうではありませんか。
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