私たちは信仰生活というと、何かを願う生活であると思っているところがあります。なるほど、確かに私たちはキリストの名によって神に願い求めることを教わり、そのようにします。しかし、信仰生活は、それだけではありません。私たちは何か願うだけではなく、実は願われている存在でもあります。20節で、パウロは「キリストに代わってお願いします」と言っています。そして、神との和解を勧めています。「キリストに代わって」と言うのはパウロはキリストの願いを知っていたということになります。キリストの願いがあるのです。神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。(2コリント5:20)