月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年7月2日(火)

エゼキエル34章 牧者となられる神

それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く。(エゼキエル34:20-22)

 神は、本物の「牧者がいない」ことを嘆かれ、ついにご自身が牧者として立つとまで言われます。そして、牧者となられた神は、羊をよい牧草地で養ってくださり、傷ついた者、弱った者を強められます。

 一方で羊たちの在り方、すなわち、神の民の在り方についても別の問いが投げかけられています。それは、羊同士の間でも、角でつつきあうようなエゴイズムと不公平が存在しているのではないかという問いです。しかし、神によって養われる群れには、神による正しい裁きがあるといいます。

 裁きという言葉には恐ろしい響きがありますが、それは正義の確立といってよいでしょう。なによりも、それは、神による群れ全体の救いの訪れです。神のおられるところには正しさがあり、その正しさのなかでこそ、羊はのびのびと、傷つけあうことなく、互いを配慮しつつ豊かに養われます。私たちもまた、神とつながり、神に信頼している時にこそ、自由に愛し合う群れとなることができます。

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