月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年5月9日(木)

エゼキエル18章 「立ち帰り」と新しい心

「イスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。…正しくないのは、お前たちの道ではないのか。…犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。…どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。…立ち帰って、生きよ。」(エゼキエル18:29,31-32)

 二度も、バビロンに征服され、ユダヤ人たちは自分の不幸は先祖のせいだと考えて「先祖が酢いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」ということわざを口にしていました(2節)。それだけではなく、「主の道は正しくない」、つまり人生の不幸は神のせいだとまで呟いていました(29節)。罪に対する自分の責任を逃れようとしたのです。

 「神に口答えするとは、あなたは何者か」とあります(ロマ9章20節)。自分の罪を認めないイスラエルに対し、神は、「罪を犯した本人が死ぬ」(20節)とおっしゃいます。しかし、神の本当の願いは、彼らが死ぬことではなく、むしろ、その道から立ち帰って、生きることです。「新しい心と新しい霊を得よ」(31節、新改訳)と懇願します。

 エゼキエルは「立ち帰って、生きよ」と叫んだのです。ペトロは、「罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」と語っています(使徒3章19節)。自分の罪を素直に認め、神に立ち帰り、赦していただくことこそ大切です。そのために、聖霊が「石の心」を取り除き、「肉の心」を与えてくださいます(36章26節)。

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