「お前はわたしの子供たちを殺し、火に焼いて偶像にささげた。…お前は誓いを軽んじ、契約を破った。だが、わたしは、…お前に対して永遠の契約を立てる。…わたしがお前を赦すとき、お前は自分のしたことを思い起こして恥じ…二度と口を開くことはできなくなる。」(エゼキエル16:21,59-60,63)
裕福になると、堕落し、祈りは熱心さを失いがちです。ソドム(創19章)の堕落の背景に裕福な生活があったと思われます。またそれが「高慢」と「安閑」な暮らしぶりを生みました。そして、「貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった」(エゼ16章49節)と言われています。
イスラエルの罪はそれ以上でした(47節)。「すべての四つ辻に祭儀台を設け」と31節にあるように八百万の神々があり、子供たちをさえ火に焼いて偶像にささげていました(21節)。「お前の行いを頭上に報いる」(43節)と裁きが宣告されます。
しかし、罪を赦し(63節)、悔い改めを与えてくださる神の、「永遠の契約」の確かさも示されています(60節)。キリストの血によって実行される永遠の契約(37章、ヘブ13章)のことが秘められています。
私たちの教会は、開拓伝道17年目です。何もないとき、熱心に祈り、そして与えられるという体験を重ねてきました。まだ豊かではありません。契約の確かさだけが、私たちの拠り所です。
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