1コリント11章 神は無秩序の神ではなく平和の神だからです
従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。(1コリント11:27)
19節で「ほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい」(口語訳)と語っています。分裂、分派は残念なことですが、真実が明らかにされるためには致し方ない場合もあります。しかし、その際も、聖餐を共にしている者であるならば、そこには愛の交わりが成立していたはずです。
コリント教会では聖餐式に先立って、愛餐会が行われていたようです。本来それは、富める者も、貧しい者も同じ席に着く愛の食卓でした。しかし、その良い習慣が崩れはじめ、めいめいが勝手に食事を取り、遅れてきた者の分はなくなってしまっていました。そこで、パウロは聖餐式の意義の重要性を語ったのでした。パウロが14章33節で「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです」と語るのは、聖餐式の問題についても当てはまります。
聖餐式において私たちはキリストの体に与り、教会というキリストの体に連なるのです。そして、共々にキリストの十字架の贖いによって、新しい契約の民とされます。まず、主と深く結びつき、そして、同じ主の仲間とされるのです。
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