「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。」(マタイ7:3-4)
桁外れのユーモラスな誇張法で、主イエスは自分の罪を見つめず他人を裁くことの愚かさを指摘されました。その愚かさは、まるで、自分の目に刺さった丸太に気づかずに、人の目にあるおが屑を気にする人のようだ、というのです。
誰も、自分を完璧な人間だと思って人を批判したりはしません。しかし、相手よりはましだと思っています。「私の目にもおが屑はあるけれども、あの人の目には丸太が刺さっているではないか」。そういう思いで裁くのです。
主が語られたのは、客観的な罪の重さの比較ではありません。気づくべき罪の重さの比較です。私たちは、うわべしか見えない他人の罪よりも、深みまで分かる自分の罪の重さに気づくべきなのです。
「わたしは罪人の中で最たるものです」と告白し、十字架の恵みをわがものとしたパウロ(1テモ1章15、16節)は、他人の罪に対しての「柔和な心」を勧めることができました(ガラ6章1節)。このパウロに倣いたいのです。
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