月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年10月26日(金)

ガラテヤ2章 信仰のみ、恵みのみ

わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。わたしは神の恵みを無にはしません。(ガラテヤ2:20-21)

 いかなるよき行いも、誠実を窮める生き方も、熱心な振る舞いも、神の前では、私たちに救いをもたらすものではありません。私たちは、神の前ではむなしく、価値のないものなのです。

 福音は、ただイエス・キリストが私たちのために十字架の上で死に、私たちの罪の代価を支払われた、と告げ知らせます。私たちはなんらの債務支払いもせず、神に義と認められ、救われます。この神の約束を信じる信仰だけが、救いのよりどころです。そこに示されたのは神の大きな、かけがえのない恵みです。信仰によって義とされるとは、ただ神の恵みによって救われるということです。

 「わたしのために身を献げられた」(20節)御子イエス。そこに込められた神の絶大な愛に、私たちはどのように応えるのでしょうか。恵みのほかには何ものも必要ではない。この恵みを決して無にするまい。その決意は、思い、わざ、祈りのなかで一貫されるべきです。救いの恵みを取り逃がさない志を貫きましょう。

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