月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年7月3日(火)

エレミヤ24章 良いいちじくと悪いいちじく

そのとき、主の言葉がわたしに臨んだ。
「イスラエルの神、主はこう言われる。このところからカルデア人の国へ送ったユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう。」(エレミヤ24:4-5)

 エコンヤと高官たちが、エルサレムから捕囚としてバビロンに連行されたあとのことです。神はエレミヤに、良いいちじくの籠と悪いいちじくの籠の幻を見せながら言われました。バビロンに送ったユダの捕囚の民をこの良いいちじくのように見なし、恵みを与えよう。しかし、エルサレムにとどまっている残りの者は、悪いいちじくのようにする、と(5〜10節)。

 これは決して世間の常識ではありません。普通は、バビロンの国に囚われの身になっている不幸な人たちが悪いいちじくで、エルサレムに残っている人たちが良いいちじくであると受け取られるでしょう。けれども、神は全く正反対のことを言われました。なぜでしょうか。それは、神が捕囚の苦しみの経験を通して、人びとを悔い改めへと導き、神の御旨を悟る者へと変えてくださるからです。

 これらのことは、私たちにも当てはまります。しばしば神は、辛く悲しい経験を通して過ちに気づかせ、私たちをより良い者へと成長させてくださるのです。

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