月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年6月9日(土)

ローマ3章 キリストへの信仰

神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。(ローマ3:25)

 神を知り、神に感謝しつつ生きることが、人のあるべき姿です。そこには神との生きた関係(いのち)があり、平安があります。

 ところが現実は、人は神を知ろうともせず、神に感謝することもせず、そしてそのような自分を疑うこともしません。そこに「いのち」はありません。

 このような人に、神は驚くような「いのち」への通路を示してくださいました。キリスト・イエスへの信仰です。その意義の第一は、神がキリストの十字架の死をもって、神を知ろうともせず神に感謝しない人の罪を、完全に帳消しにされたということです。第二は、信仰の大切さです。信仰とは、思い込むことではありません。この信仰とは、自力で掴み取ることとは逆のこと、つまり、自分にそのような力のないことを認めて、神に願い神から受け取る態度のことです。

 「信じる者すべてに与えられる神の義」(22節)とは、神との生きた関係を、すべての信仰者に、神が与えてくださるという恵みのことです。

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