月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年6月7日(火)

イザヤ39章 苦しみの意味

ヒゼキヤはイザヤに、「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていた。(イザヤ39:8) 。(イザヤ36:20-21)

 人は、自分が無力であることを知るとき、人間の限界を超えた方に依り頼もうとします。苦難の中での祈りは、人間本来の在り方です。問題は、その「苦しさ」が解決されたあとです。人生の失敗は、苦しみの中にいるときばかりでなく、万事がうまく行っているときに起こることがあります。有頂天になって、すべてが自分の思い通りになるかのように錯覚しているとき、人の心に隙すきが生まれます。

 死に至る病から奇跡的に回復したヒゼキヤは、すっかり上機嫌でした。そして、彼は、病気の回復を聞いてやってきた遠方のバビロンの使者に、国の富のすべてを見せてしまいました。彼らは偵察するためにやってきたのに。

 預言者は、このことの故に国の滅亡を預言します。しかし、ヒゼキヤは意に介しませんでした。自分の生きている間は平和が続くと思い、自分の行いが子孫に滅亡を残しても、それは他人事でした。うまくいっているときこそ、自分が子孫に何を残そうとしているのか、主の前に吟味しましょう。

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