月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年11月18日(木)

ローマ9章 救いは神の主権

神はモーセに、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。(ローマ9:15-16)

 パウロは同胞が救われることを願うとき、深い悲しみと絶え間ない痛みを心に覚えています(2節)。神に選ばれていた民が、神が遣わしてくださった救い主を退けました。この事実に、戸惑っています。このなかで、パウロは、神の選びの確かさを問わざるを得ないようにされました。

 また、パウロは、同胞のためなら神に見捨てられてもよい、とまで語っています(3節)。自分の命と引き替えても、なんとかして同胞を救いたいという同胞への愛が、パウロの心に溢れています。そして、この愛は、同胞のための祈りとなって、ほとばしっています。

 人の心に呼びかけ、その魂を救うのは主なる神です。神の主権的で自由なる御手に、私たちの家族の救いを委ねて祈りましょう。今の状態がどのようであったとしても、神は「憐れもうと思う者を憐れ」んでくださいます。神の憐れみに寄りすがる者は、神ご自身が応えてくださると信じることができるのです。

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