月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年10月6日(水)

サムエル下16章 失意のどん底から

ダビデは更にアビシャイと家臣の全員に言った。「わたしの身から出た子がわたしの命をねらっている。ましてこれはベニヤミン人だ。勝手にさせておけ。主の御命令で呪っているのだ。主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」(サムエル下16:11-12)

 王座にあったダビデにとって、都落ちの惨めさは、心に痛く刺さるものであったはずです。その失意にさらに追い打ちをかけるかのような問題が待ち受けていました。

 サウル家の一族の出のシムイも、ペリシテにサウル王父子が倒されてからは、鬱々とした日々を送ったことでしょう。その憂さ晴らしでしょうか。落ち目と見たダビデを、この時とばかりに呪い、石まで投げつけたのです(5節以下)。

 このときは、ダビデのほうが、傲慢なシムイを倒して溜飲を下げたい気持ちだったでしょう。しかし彼はそうはしません。苦しく辛い現実を主の御心と認めます。そして、ただ主の憐れみに希望を託します。

 ある人は、「試練は上から乗り越えるものではなく、下からくぐるものだ」と言いました。下からくぐるとは、どういうことでしょうか。小さく謙遜にされること、砕かれることです。ダビデも試練によって、主の前に謙遜にされ、砕かれています。私たちの受ける試練にも、このような意味があります。

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