月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年11月22日(日)

詩編38編 わたしの罪の嘆きをご存じの主

わたしの主よ、わたしの願いは
すべて御前にあり
嘆きもあなたには隠されていません。
心は動転し、力はわたしを見捨て
目の光もまた、去りました。(詩編38:10-11)

 私たちが経験する苦難とは、どのようなものでしょうか? 手術後ガンの転移が見つかったこと、突然、大切な人と死別したこと、仕事で取り返しのつかない失敗をしたこと、あるいは夫婦関係で苦労していること…。苦難は、私たちの心を動転させ、やがて活力を失わせます。私たちの目は光を失い、もはや何の希望も見ることができなくなります。

 ところで、この詩人の苦難は罪に起因します。苦難が自分の罪悪を原因としているとしか思えてならないときには、私たちの心はなおさら苦痛にあえぐことでしょう。しかし、たとえ、この苦難が主からの懲らしめであったとしても、主にこそ、助けを求めて訴えることができます。「主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます」と、答えを求めて祈ることができます。

 私たちの罪の嘆きは、必ず、主に届きます。大祭司キリストは私たちと同様の試練に遭われ、同情をもって、執り成してくださいます。聖霊は私たちと呻きを共にして祈ってくださいます。主が、罪を嘆く私たちを見捨てられることはありません。

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