月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年8月26日(水)

エゼキエル33章 わたしは、悪人が死ぬのを喜ばない

「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。
立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。
イスラエルの家よ。どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」(エゼキエル33:11)

 「見張り」は、危険や滅びが迫るのを人々に知らせて、警告を発します。ときには、反対に、よき知らせを告げることもあります。見張りが声を発するやいやな、それに備える責任が、聞く者に発生します。

 人生には、危険が満ちあふれています。精神的な危機は、気付かない間に私たちの心の隙間に入り込み、思いを蝕み、迷路へと誘い込んでいきます。また、罪による霊的な危機があります。私たちの思いを神への信頼から遠ざけ、罪深い自分にはもう絶望するしかないと思い込ませます。「我々はやせ衰える。どうして生きることができようか」(10節)。

 イスラエルの民は、神に背いていたことが明らかになり、捕囚という絶望的状況の中で自暴自棄に陥っていました。神は、彼らのために、エゼキエルを「預言者」「見張り」として改めて召してくださいました。神は、罪の絶望に留まらないようにと、「悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ」と、エゼキエルを通して、切実な愛の叫びを届けてくださいました。罪を犯していても、神に立ち帰りましょう。

コントローラ

Copyright (C) 2009 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.