月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年8月5日(水)

創世記50章 人の悪をも用いて人類を

「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」(創世記50:19-21)

 ヤコブの人生、また、その息子ヨセフの人生を読みますと、神の知恵の深さ、摂理の奥行きの深さ、完全さに圧倒されます。父ヤコブのヨセフ偏愛という父親としての不公平も、ヨセフ自身のいい気になった傲慢さも、シメオンやレビの残虐性も、ポティファルの妻の罪深い仕業も、ヨセフのことをうっかり忘れた給仕役の忘恩も、すべてが用いられています。神の救いの御計画が実現していく上で、人の善意も悪意も残虐性も用いられています。

 もし、ヨセフがエジプトに売られていなければ、飢饉のなかにあってもイスラエルの民が生き延びることはできず、主イエスはアブラハムの子孫としてお生まれにならなかったのです。もし主イエスがお生まれにならなかったら、今日の私たちはないのです。

 そんな神の御計画の奥深さ、善意の計り知れないことを、ヨセフはしみじみと実感してこう言うのです。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」

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