ヤコブの人生、また、その息子ヨセフの人生を読みますと、神の知恵の深さ、摂理の奥行きの深さ、完全さに圧倒されます。父ヤコブのヨセフ偏愛という父親としての不公平も、ヨセフ自身のいい気になった傲慢さも、シメオンやレビの残虐性も、ポティファルの妻の罪深い仕業も、ヨセフのことをうっかり忘れた給仕役の忘恩も、すべてが用いられています。神の救いの御計画が実現していく上で、人の善意も悪意も残虐性も用いられています。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」(創世記50:19-21)