月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年7月7日(火)

創世記37章 夢見る男

イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。(創世記37:3-4)

 ヨセフの長大な物語(37章〜50章)は、暗い家庭の姿から始まっています。ヨセフを溺愛する父、兄たちの告げ口をするヨセフ、ヨセフを妬む兄たちの姿です。

 この陰鬱さは、家族の者たちが自分の前にひれ伏すという夢を、ヨセフが兄たちや父に語ることで、増幅します(5〜11節)。しかし、この夢こそ、ヨセフ物語に最初に差し込む光明です。主の摂理の御手の内で、この夢はやがて実現し、神の民は破滅から救われます。

 ヨセフも兄たちも父も、それぞれの蒔いたものを刈り取って苦しみますが、その苦しみまで主は用いられ、ヨセフの夢は実現しました。主の恵み深さは、人の溺愛・偏愛・残虐性・傲慢の罪を覆い包みます。この家族は祝福の源として存続させられていきます。主の恵み深さは、人間の罪をはるかに超えて、計りしれません。

 ヨセフ物語と同じように、「私たちの物語」も、たとえ、暗さで始まったとしても必ず明るい結末に至ります。苦しみの後、やがて必ず輝く天国に入り、世界が御国となるのを見、万事が益だったと了解するのです。この結末を信じ、勇気を出して歩みましょう。

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