月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年5月27日(水)

エゼキエル23章 罪の現実をえぐる表現

彼女たちの名は、姉はオホラ、妹はオホリバといった。彼女たちはわたしのものとなり、息子、娘たちを産んだ。彼女たちの名前であるオホラはサマリア、オホリバはエルサレムのことである。(エゼキエル23:4)

 紀元前6世紀の中近東世界には、東のほうに最強のバビロニア帝国が、南には対立する勢力としてエジプトが存在していました。17章に登場する二羽の大鷲は、この二つの強大な国を表しています。

 この23章には、目を覆いたくなるような神の民の堕落・腐敗の様子が記されています。たとえとしてオホラ、オホリバという姉妹を登場させ、これでもかこれでもかと神の民の霊的姦淫を糾弾します。この章では淫行は14回、姦淫は9回、不貞は8回、欲情は7回も語られます。

 当時の社会は、真の神を知らず、畏れるものなど何もないように振る舞い、ただ自分の欲望のおもむくままに生きています。信仰上の偶像礼拝も、倫理的・社会生活の堕落・退廃にも歯止めがありません。

 すでにオホラであるサマリアはアッシリアに滅ぼされ、北イスラエル王国は地上から姿を消しました(紀元前722年)。そして預言者エゼキルの時代に、妹オホリバ(エルサレム)はバビロンによって滅ぼされます(紀元前586年)。

 日本の現実とどこが違うでしょう。偶像礼拝と不潔な行いに対する神の怒りは、誰も免れることはできません(コロ3章5〜6節)。私たちの望みは、十字架で神の怒りをなだめ、平和を打ち立ててくださった和解者イエスのみです(コロ1章20節)。

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