月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年5月11日(月)

エゼキエル15章 あなたは実のなるぶどうの木

「わたしが顔を彼らに向けるとき、彼らはわたしが主なる神であることを知るようになる。わたしはこの地を荒廃させる。彼らがわたしに不信を重ねたからである」と主なる神は言われる。(エゼキエル15:7-8)

 短い15章は、エルサレムの住民を火に投げ込まれたぶどうの木にたとえています(6節)。ぶどうの木は、建物の材木にもならず木釘にもなりません。とくに焼かれてしまったらもう何の役にも立ちません。

 なぜ、このように哀れな姿になったのでしょうか。もともと彼らエルサレムの住民は、愛され期待されてきた神の民でした。しかしエルサレムは、バビロン捕囚という猛火の中に投げ込まれてしまいます。それは、「彼らがわたし(神)に不信を重ねたから」でした(8節)。

 これは、私たちへの警告でもあります。洗礼者ヨハネは言います。「悔い改めよ。天の国は近づいた。…斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(マタ3章2節、10節)。神から離れるとき、私たちも役に立たないぶどうの木となります。

 父なる神は、無益だった私たちを、実を結ぶ枝として選び、まことのぶどうの木キリストに接ぎ木してくださいました(ヨハ15章4-5節)。実りの希望は、キリストにあります。

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