月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年5月6日(水)

エゼキエル14章 神は救い出される

それは、イスラエルの家がもはやわたしから迷い出ず、あらゆる背きによって二度と自分を汚さないためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。(エゼキエル14:11)

 以前、わたしはピコという猫を飼っていました。ピコは何度もお隣の花壇に糞をし、きれいな花を駄目にしました。庭の池の大切な魚を取ってしまったときは、堪忍袋の緒が切れて、ひどくたたいてしまいました。

 そのときわたしは、神も私たちをこのようにされるだろうか、と思いました。悪いことをしたら、怒るのは当然です。しかし、当然の怒りは、一歩間違えば、制御できない怒りの炎となり、相手も自分も焼き尽くします。神の怒りは、それとは全く違います。

 エゼキエル書14章には、聖書が語り続ける普遍的なメッセージがあります。(1)人は、神の御前に罪を犯す。(2)滅びと審判が待ち受けている。(3)神は、自らの憐れみ深さのゆえに、ご自分の民を救いへと入れてくださる。

 神の怒りを受けたイスラエルの民に、神は呼びかけて言われます。「悔い改めて偶像から離れよ。…こうして彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」神は、ご自分の民に対して、その神であり続けてくださいます。神は、お立てになった契約に誠実の限りを尽くされます。昔も今も変わることなく。

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