月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年2月17日(火)

コヘレト11章 分からないときにも

すべてのことを成し遂げられる神の業が分かるわけはない。(コヘレト11:5)

 「コヘレトの言葉」を、断片的に、各章、各文節を拾って読むだけでは、この書はいかにも「空しさ」に満ちています。そのため、読み方によっては、コヘレトが空しさを奨励しているとさえ思われるのです。

 ですから、こうして一日一章を学びながらも、他方でコヘレトの言葉を、一冊の書として読むことにも意を用いていただきたく思います。聖書を断片的に読む危険に、どうか留意してください。

 空しさは、何らかの努力をして、忘れ去ることはできません。どこかから喜びを引っ張ってきて、空しい思いを消し去ることもできません。それがコヘレト自身、人生の中で学んだ事実です。神がなさる御業を、人は定かに知ることはできません。幸いと思える日もあれば、災いとしか思えない日もあるのです。

 そこで大切なことは、私たちをご自身との契約の中へと迎え入れてくださった神の真実に信頼することです。「分かる」「分からない」を超えて、神は常に私たちをかえりみ、私たちのためにご計画を実現されます。それが神の契約の恵みです。

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