月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年1月19日(月)

創世記8章 神の憐れみ

主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」(創世記8:21)

 裁きは神のみ手によってなされますが、裁きを終わらせ給うのも神です。洪水は終わり、水は引き、ノアたちが箱舟から出る時が来ました。

 この間、箱舟の中にいた者たちは何もできませんでした。すべてが神にゆだねられていました。信仰とは、ときに、耐え忍ぶことです。神の恵みと憐れみにいっさいをゆだねて待つことです。主は「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」(出14章14節)、と仰せになられます。

 神の憐れみを知らされた者のなし得ることは、ただ感謝することです。ノアは箱舟から出るとすぐに祭壇を築き、感謝と献身の献げ物を供えました。その時神は、わたしは二度と地の生き物を打つことはすまいと仰せになられました。

 私たちは知っています。人間の歴史が今日まで続いてきたのは、人間自身の知恵や力によるところではありません。人の思いはかることは、幼いときから悪い(21節)のです。にもかかわらず、世界の歴史が続いてきたのは、罪人を憐れむ神の憐れみのゆえです。

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