あさのことば 2021年3月22日(月)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

川杉安美(草加松原教会牧師)

川杉安美(草加松原教会牧師)

メッセージ: 聖書で十分



 ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
 私が教会に通うようになって願ったことの一つに、聖書だけではなくて、何か個人的に神様からしるしが与えられないものだろうか、というのがありました。そんなとき、ルカによる福音書16章にある、金持ちとラザロの話に出会いました。

 金持ちと、体ができものだらけの貧しい物乞いのラザロがいました。二人とも死んで、ラザロの方は神様のもとに行きます。金持ちの方は裁きの方に行ってしまいます。裁きの方に行った金持ちは、まだ生きている自分の兄弟たちまでこんな苦しいところに来ないように、ラザロを遣わしてくださいとお願いするのです。それに対する答えは、「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。」というものでした。言い換えると、聖書の言葉がある、それに耳を傾ければいい、ということです。

 しかし、金持ちはさらに言います。「もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。」と。しかし、それに対する答えも、聖書に耳を傾けないなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、聞き入れないだろう、というものでした。

 つまり、神様を知る、救われる、それは聖書で十分だ、聖書に聞かないならしるしがあっても駄目だ、ということです。大事なことは、聖書に耳を傾けることだったのです。聖書は自分に対して語っていると信じることだったのです。しるしは必要なかったのです。

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