おはようございます。広島教会の牧師、申成日です。
皆さん、「カシコギ」という小説を読まれたことがありますか。数年前に韓国でベストセラーになり、映画化され、また日本でも「グットライフ」という題でドラマになった物語であります。カシコギというのは「とげうお」という魚の韓国語であります。
「とげうお」という魚のオスは、メスが産み捨てた稚魚を必死に育て、子が成長していくと自らは死んでいくという不思議な魚だそうです。
この小説は白血病を患っている子供と父親の物語であります。子供が幼い頃、母親は家出をしました。父親は不況で仕事を失う中で必死に息子の闘病を支えます。その中、ドナーが現れて息子は手術を受ければ治る可能性が出てきました。そしてとうとう父親は自分の臓器を高く売って息子の手術費用を作ろうとします。けれども皮肉にもそのための検査で自分が末期の肝臓がんであることが分かります。余命6カ月。
さて、手術を終えて目を覚ました息子は、片方の目に眼帯をしている父親を見ます。「パパは目が痛むの?」と聞きます。父親は比較的健康な自分の目を売って、息子の手術費用を作ったのでありました。
父親はその後息子を母親の所に行かせます。まるで、「自分が息子を大嫌いになった。」というような振りをしました。しかしそれは自分の死を準備するためでありました。最後は医者に自分が死にかけていることを息子にも、妻にも知らせないようにと言い残して、父親は死んでいきます。
多くの人を泣かせたこの小説ですが、しかし、この小説は一人一人のために自ら人となられ、十字架の死を成し遂げてくださった神様を思い起こします。両手を広げて十字架に架けられたイエス様は、まるでわたしたちにわたしの胸に来なさいと両手を広げる父親の姿であります。
我が家には発達障害の息子がいます。随分大きくなって、身体はわたしよりも大きくなりました。力はとっくに負けています。しかし彼とは未だに言葉で語り合うことができません。いくつかのわたしたちの言葉を理解するだけです。彼とは語り合うことができませんが、確実にわたしが何を求めているのかを知っていることがあります。わたしが彼に向かって両手を広げると、彼は何のためらいや恥ずかしさもなく、わたしの胸に飛び込んできます。そこに父の愛がある、そこにわたしを愛する父の心があることを感じているからです。
神様はわたしたちを造られた創造の神であります。聖書が言っているように、神様は「あなたはわたしのもの」と言ってくださり、神様御自分で御造りになった人間を我が子のように愛してくださるのです。
その神様は今、両手を広げて皆さんを呼んでいます。「わたしの所に来なさい。あなたを休ませてあげよう。大変だったね。辛かったね。でももう安心しなさい。父さんがいる。君を最後まで守る。君がどこに行っても君の傍らで君を守る。だから、父さんの所にきなさい。」
これこそ永遠の父である神様の御心であります。
この世界の中で「独りぼっちになった。」と思われる度に、わたしはこの言葉を思い起こします。「たとえそうであっても、わたしを愛してくださる神がおられるので、その方のためにも頑張りたい。」いつもそう思って励まされます。
その神様はわたしだけの神様ではなく、あなたの神様でもあります。