おはようございます。広島教会の牧師、申成日と申します。
わたしは韓国ソウル生まれの韓国人の牧師です。今から22年ほど前に日本に参りました。日本に来たのはイエス・キリストの言葉を日本の皆さんに伝えたいと思ったからです。
このことを思い始めたのは大学1年生の頃でした。わたしは牧師になるために神学大学に入り、神学の学びをしていました。しかし、わたしが入った神学大学は韓国内の牧師よりも、海外宣教師を育てるのに力を入れている大学でした。最初はそんなこと知りませんでしたが、入学した後、学校の方針や先輩からの刺激を受けて海外宣教の思いが強くなり、どの国に行けばよいのか祈っていました。
ある日、学校の裏山で毎日持たれた祈祷会に出て祈っていたら、突然暗闇の夜空に日本の地図が見えました。そのことがあまりにも鮮明に見えましたので、自分が行くべき国は日本であると確信するようになりました。そして、山から下りて翌朝すぐに日本の地図を購入し、それを机の上に貼って祈り、そして日本宣教の準備を始めました。
大学2年を終えて3年間の兵役をし、3年生に復学した時も日本宣教の思いは失うことなく、もっと強くなっていきました。
3年生ごろから、週末はある教会で中高生に聖書を教える伝道師として勤め始めました。
ある日、中学生の子供たちと聖書勉強会をする時に、10年後の自分について考えることがありました。子供たちは10年後の自分がどうなっているのかいろいろ想像し、夢が膨らんでいました。そして、わたしもその子供たちに10年後自分は日本の教会の牧師になっていると話しました。外国人が日本の教会の牧師になることがどれほど難しいことなのか分かっていたならばそう簡単には言わなかったでしょうが、その頃のわたしは日本宣教の事だけで頭がいっぱいでした。
それから2年後、わたしは大学を卒業してすぐに日本に参りました。このことについては多くの人々が反対をしていました。もっと勉強して牧師になってからいろいろな支援を頂いて行った方が良いとの意見が多かったのですが、わたしは一日も早く日本に行きたかったし、日本で牧師になりたいと思いました。
何の支援も受けずに日本に来たわたしは様々なアルバイトをしながら、日本語を学び、その後は神学の学びをしました。また、神様の導きによって、日本の教会につながるようになり、日本キリスト改革派教会の中では外国人として最初に任職された牧師となりました。
韓国のある子供たちと10年後の自分について語り合った時から10年後、自分は間違いなく日本の教会の牧師となって、日本の教会で働くようになりました。
今から約30年前の1987年の秋、山の中で祈っていたわたしに日本の地図を見せてヴィジョンを示してくださった神様は、わたしの中で確信をくださり、子供たちの前でそのことを公にさせ、また一歩一歩その備えをしてくださって、わたしを通して神様御自身の働きを日本の人々に確実に伝えてくださるのです。
人は、その心の中でいろいろなことを計画しますが、それが可能になるように一歩一歩備えてくださるのは神様です。
神様は、あなたを通して驚くべきことを計画しておられます。あなたが神様の導きに従って歩んで行くならば、神様はあなたの人生を通してとても素晴らしいことを成し遂げてくださるのです。その神様のことを信頼して今日も一日過ごしてみましょう。