主と同じ姿にかえられる | コリントの信徒への手紙二 3章

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コリントの信徒への手紙二 3章

わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 3章18節

主と同じ姿にかえられる

パウロはここで、聖化の祝福について語ります。「主の霊のおられるところに自由があります」(17節)。罪と死の縄目を解いて永遠の命に甦られたキリストの霊こそ、地上の何者にも縛られず、支配されない真の自由の霊です。この自由の霊が、罪と死の法則に、あるいは朽ちゆくもろもろの偽りの霊に支配され、がんじがらめにされていた人間のうちに住まわれるなら、人間もまた真の自由へと解き放たれます。聖霊を受けることによって、救われた人間の新しい生が、キリストにある歩みが始まりを告げるのです。

新しい人間の歩みは「栄光から栄光へと」「主と同じ姿に造りかえられて」いく歩みです。聖霊に生かされているすべての者が「顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出し」ます。一人ひとりのキリスト者の顔に、主の御顔の輝きがくもりなく照り返されます。そして「主と同じ姿に造りかえられ」ていくのです。

「主と同じ姿に造りかえられ」ていくプロセスを、ある神学者は病が徐々に癒やされていく道筋になぞらえています。聖化は瞬時にして完成するのではありません。その途上にはたたかいも試みもあるでしょう。しかし、私たちのうちに生きて働く聖霊の恵みは確かです。

【祈り】

私たちをも主と同じ姿に造りかえてくださる、この大いなる恵みに感謝し、この身を聖霊に委ねます。

木下 裕也(岐阜加納教会)