主が望んでおられること | 詩編 50-51編

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詩編 50-51編

告白を神へのいけにえとしてささげ
いと高き神に満願の献げ物をせよ。
それから、わたしを呼ぶがよい。
苦難の日、わたしはお前を救おう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 50編14節~15節

主が望んでおられること

この詩編で描かれているのは神殿祭儀における神の顕現です。主なる神はご自分の民を呼び集められ、それぞれの「信仰」について問われます。

そこは神の法廷でもあります。全知全能の主は、ひとつの不正も見逃されることなく完全に公正な裁きをなさいます。不当な判決が起こりうるこの世の裁判と比較すると、一見、これは素晴らしいことのように思えます。しかし、大変恐ろしいことでもあるのです。なぜなら、主を信じる信仰者であっても、罪と腐敗から完全に免れることはできないからです。

主は目に見えるところによって裁きを行うことも、耳にすることによって弁護することもなさいません。どれほど弁明の言葉を並べようとも、誰一人として主の御前に自分自身を罪なしとすることはできないのです。私たちにできる最善のことは、つまるところ、すべてをありのままに告白することです。

続く詩編51編では、その具体例としてダビデ王の赤裸々な告白がつづられています。悔い改めの詩編として知られる51編は、どのように主に告白したらよいかを示すひとつのモデルです。私たちの希望は、私たちが主に真実の告白をささげるとき、主はそれを受け入れて、赦しを与えてくださることにあります。

【祈り】

主よ、あなたが私たちの告白を受け入れ赦してくださる慈しみ深い神であることに感謝します。アーメン。

唐見 敏徳(忠海教会)