ウエストミンスター小教理問答の学び 第106問

第106問 主の祈り、第六の祈願

問: 第六の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。

答: (「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」という)第六の祈願で私たちが祈る事は、神が私たちを罪の誘惑から守ってくださるか、私たちが試みられる時に私たちを支えて助け出してくださるように、ということです。


罪の赦しと罪との戦い


 第六の祈願は、罪の赦しを求める祈願(われらの罪をも赦したまえ)に続いています。私たちは、罪の赦しを神に願い求めて罪の赦しの確信を得た後、罪と戦う決意を持って第六の祈願を祈るのです。
(1) 罪を赦していただくために、善い生活を目指して努力するのではありません。罪の赦しは、ただ、キリストの十字架の償いに基づいて、「一方的に」(問105)与えられるのです。

(2) しかし、罪の赦しを一方的に得た人は、罪と戦わずに赦しを受け続けて良いのではありません。赦しを受けた人は、その恵みに励まされて、罪と戦い続けるのです。

(3) 戦った結果、また罪を犯す人には、なお、罪の赦しを願う事が許されています。罪との戦いへの完全な勝利(完全聖化)はこの世ではありません。神は私たちの聖化(愛ときよさへの変化)をすでに始めておられますが、その完成は天国に移される死の時なのです。

(4) ですから、この祈りは、試みから解放され天国に入る死の時まで、希望の内に祈り続ける祈りです。私たちは、罪の赦しを繰り返し味わいつつ、罪との戦いを繰り返し決意し、戦う力を神に祈り求めるのです。

罪との戦いで祈り求めるべきこと


 二つの事柄を祈り求めます。
(1) 罪の誘惑からの守り:
 自分の弱さを自覚して、罪の誘惑自体から守られるように祈ります。自分の強さを過信して、無頓着に誘惑に身をさらすことを私たちはしません。

(2) 試みの時の支えと救出:
 それでも誘惑はやって来ます。逆境の時に目前の必要に心を奪われて神に背く誘惑があり、順境の時に高ぶって神に背く誘惑があります。快楽も苦痛も誘惑になり得ます。私たちは、それらの試みに自分の力では打ち勝てない無力を認め、神の支えに期待し、神による救出を願うのです。
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