第101問 主の祈り、第一の祈願
問: 第一の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。
答: (「ねがわくは、み名をあがめさせたまえ」という)第一の祈願で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、また、神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように、ということです。
「御名」とは「神がご自分を知らせるのに用いられるすべての事」であり、具体的には「神の御名、称号、属性、規定、御言葉、御業」(問54)のことだと小教理問答は説明しますが、「御名をあがめさせたまえ」とは、「神様があがめられますように」と言うのと同じだと考えてよいと思います。
第一の祈願は、神の栄光が現わされる事を求める祈りなのです。
神の栄光は二つの道で現わされます。
(1) 神の栄光を現わす信仰者の自覚的行動。
例えば、
A. 公同礼拝・家庭礼拝・個人礼拝、
B. 伝道・奉仕など教会での行動、
C. 信仰に基づくすべての行動(家庭・職場・地域・交友における行動)、
D. 人間としての向上。
第一の祈願を祈る時、私たちは、まず自分自身が、そして、他の人々が、このような道で神の栄光を現わすことを願うのです。
(2) 神の導き(配剤)が現わされ、神のすばらしさが明らかになるようなすべての出来事。
例えば、
A. 神が支配されるこの世界から罪や悲惨がなくなること、
B. 神の愛が明らかになるようなさまざまな幸福、
C. 悪に対する善の勝利。
主の祈りは、私たちの必要(日用の糧、罪の赦し、試練からの守り)を求めるに先立って、神の栄光を求める三つの祈り(御名、御国、御心についての祈り)を祈るように教えています。それは人間の幸福を顧みずにまず神の栄光を求めるということではありません。神の栄光(すばらしさ)が現われる事が、人間の幸福にとっても必須の事柄なのです。
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