ウエストミンスター小教理問答の学び 第43〜44問

第43〜44問 十戒の序言

問43: 十戒の序言は、何ですか。
答:   十戒の序言は、次の言葉にあります。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」。

問44: 十戒の序言は、私たちに何を教えていますか。
答:   十戒の序言が私たちに教えている事は、神が主、また私たちの神でもあがない主でもあられるので、私たちはそのすべての戒めを守る義務がある、ということです。


序文の意義

(1) 十戒を授ける神様の名乗りは、十戒を行なう動機づけになっています。つまり、私たちは、神様に向かって道徳を守るのです。

(2) 名乗りによる動機づけは次の通りです。
A. 神が主(ヤーウエ)であられること: 世界の支配者、歴史の支配者なる主への恐れをもって、十戒を行なうよう促されています。

B. 神が私たちの神であられること: 神様は、「私の神」となって下さり、私と共におられ、私と共に歩んで下さいます。この恵みに応え、十戒を行なうよう促されています。

C. 神が私たちのあがない主(救い主)であられること: 神は、イスラエルをエジプトの奴隷の身分から救われたように、私たちを罪と死の奴隷状態から救い出して下さいました。この恵みへの感謝こそ十戒を実践することに人を励ます最大の動機です。

律法(十戒)を守る生活と律法主義

(1) 聖書は律法主義を誤りとしています。律法主義とは、律法を守ることで神に義人と認められようとする「優等生」志向の生き方です。律法主義は、愛と異なる動機(救いの獲得)から律法を守ろうとしますから、真に律法を守ること(神と人への愛に根ざして掟を守ること)はできません。また、傲慢に自分に頼り、神に依存しませんから、神に喜ばれることがありません。

(2) 十戒の序言が明らかにしていることは、神様が与えて下さった律法は律法主義へと人を招くものではない、ということです。神の民(今ではクリスチャン)は、救われるために道徳律法を守るのではなく、無条件で救って下さった神様の恵みに対する応答として道徳律法を守るのです。

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