第38問 復活の時の祝福
問: 信者は、復活の時、キリストからどんな祝福を受けますか
答: 信者は、復活の時、栄光あるものによみがえらせられて、審判の日に、公に受けいれられ無罪と宣告され、永遠に、全く神を喜ぶことにおいて完全に祝福された状態にされます。
神様の救いは包括的です。信徒の魂が死んで栄光に入ること(問39)で終りません。
(1) 世界は世の終りに神の国となり、罪も悲惨も姿を消します。この希望があればこそ、信徒はこの世から逃避せず、この世界がよい世界となるために労し、仕えるのです。
(2) 信徒は世の終りに栄光の体を受け、霊と体を兼ね備えた真の人間として、完全な喜びを永遠に味わいます。この希望があればこそ、信徒は今の体を重んじつつ、体の不完全さからくる悲しみや誘惑と戦うのです。
(1) 栄光あるものへの復活: 私たちは肉体を備えてこそ存在の喜びの全体を味わう者たちです。しかし、現在の肉体は、悲しみ、苦しみ、誘惑をもたらすものでもあります。世の終り、人はそのようなマイナス面の全くない体を与えられ、存在の喜びを豊かに味わいます。
(2) 公的な無罪宣言: 私たちは、信じた時に完全に無罪とされますが、それは、信仰によって見抜かなければならないことです。
A. 完全な信仰はありませんから、罪赦された喜びも完全ではありません。世の終りに公的に無罪と宣言される時、罪赦された喜びは完成します。
B. 信仰で見抜かれなければならないことは、人々の目には見えません。公的な無罪宣言を受ける時、私たちは罪赦された栄光のすべてを味わいます。
(3) 完全に神を喜ぶこと: 人のおもな目的(問1)の達成です。天国の喜びの中心は、快楽ではなく、神との交わり(愛)です。無限の神の愛を完全に知り、公的に無罪とされて晴ればれと神に近づき、神を喜ぶ時、人のおもな目的は達成されます。もちろん、天国では人同志も、愛を完成された者同志として、喜びに満ちた交わりを味わいます。
教会の礼拝は、この喜びの前味なのです。
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