最初に示された服従の規準
(1) 道徳律法とは、何が善であり何が悪であるかを指し示し、善を行うように求める神の命令のことです。それは、聖書に記される前に人間の良心に刻まれました。
(2) どの民族でもすべての人の心には、善と悪とを区別する感覚と、善を行う事が望ましいことだ、という感覚(良心)があります。
(3)これは、神様が人間の心に植えつけられた感覚です。神様は、人を「神のかたち」に造られました(問10)。「神のかたち」である人間は、動物と違って善と悪とを区別し、善を行おうとする心を持っているのです。道徳を知っていることは人間の素晴らしさの一つです。
道徳律法を学ぶ目的
(1) 人は、憎むことを厭いつつ人を憎み、妬むことを恥じつつ人を妬みます。道徳を知りながら、行えないのです。堕落以来、人は善を欲しながら悪を行う者になりました。
(2) ですから、道徳命令だけでは、罪の意識に責められるだけで救いはありません。
(3) 道徳律法は、「最初に」啓示された神の意志であって、これで最後ではありません。神の最後の意志はキリストにより示されました。それにより神は、私たちが十字架による罪の赦しを信じ、新しい心で神に従う決心をする(悔い改める)ように求めておられます(問85以下でそれを学びます)。
(4) そこで、これから学ぶ道徳的義務には、二つの意義があります。
A. 道徳律法に照らして、自分の罪を認め、罪からの救いを神に求めるため(キリストへの信仰に促されるため)。
B. キリストを信じ、罪赦された者として、新しい心で神に従う道筋(神が喜んで下さる生活)を具体的に知るため。