そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。(マルコ10:16)
人びとに教えを語る主イエスのもとに子どもたちが連れて来られましたが、弟子たちは子どもたちを連れてきた人びとを叱りました。弟子たちは、子どもたちのことを、先生が教えを語るのを邪魔する存在であると考えたのかもしれません。当時の子どもの扱いを考えると、そのような弟子たちの態度は、大人としては常識的なものだったのでしょう。しかし、主イエスは、この世の常識ではなく、父なる神の御心を示されます。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」。
マルコによる福音書は、このとき主イエスが「憤った」と伝えています。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」(マコ9章37節)とすでに教えておられたにもかかわらず、弟子たちがこの世の常識を優先したからでしょう。
子どもに限らず、社会での立場がどのようであったとしても、主イエスのもとに来るならば、すべての人が主の祝福の対象です。私たちは世の常識を振りかざすことなく、どのような人も共に主の祝福にあずかれることを喜ぶ者でいましょう。私たち自身も、主のもとで祝福にあずからせていただいているのですから。
【祈り】 神よ、あなたの祝福にあずかれる喜びを、あなたのもとに来るすべての人と分かち合うことができますように。
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