民数記19章 きよめに与るための障壁は低い
3日目と7日目に、身の清い人が汚れた者に振りかける。汚れた者は、7日目に身を清め、衣服を洗い、体に水を浴びると、夕方には清くなる。(民数記19:19)
人の死は、罪によってもたらされたゆえに、神礼拝にふさわしくない「汚れ」と結びついています。人間の共同体にとって死は遠い存在ではありません。礼拝祭儀を執り行う祭司は汚れを聖所に持ち込まないよう、日常生活において細心の注意を払いました。その他の人たちもまた、死体に近づいて汚れたことが明らかであるときは、主の幕屋から距離を取るために、宿営から出されました(5章2、3節)。汚れた状態でうっかり聖所に近づき、聖所を汚してしまうことがないようにするためです。
汚れを放置なさらない神は、汚れた民が宿営に復帰できるようにと、清めを象徴する赤毛の雌牛とその血、杉の枝、ヒソプ、緋糸を原料とした灰を製造するよう、民に指示なさいました。規定通りに製造された灰を水にまぜて振りかければ、祭司以外の人でも清めの儀式を執り行えます。こうして、汚れた人もスムーズに宿営に戻ることができるのです。
私たちは罪に汚れた身でありながら、罪赦され、礼拝共同体に復帰するようにと招かれています。主イエスの十字架の犠牲による清めが私たちを復帰させますが、その清めにあずかるのは難しいことではありません。仰々しい儀式でなく、信仰によってあずかるのです。
【祈り】 神よ、わたしがあなたへの礼拝にいつも向かえるように、救い主キリストをお与えくださり感謝します。
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