月刊誌リジョイス 聖書日課 2024年2月18日(日)

マルコ1章9-15節 イエスは神の御心に適う者

  

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(マルコ1:11)

 洗礼とは罪が洗い清められたキリスト者であることをあらわす印です。

 罪がない主イエスが洗礼を受ける必要はありません。しかし、「正しいことをすべて行う」(マタ3章15節)ため、ヨルダン川で主は洗礼をお受けになります。

 洗礼を受けると、天が開き、鳩のような形で聖霊が主イエスに降ります。そして、父なる神は、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」とおっしゃいます。人として主イエスは洗礼をお受けになりますが、父なる神と聖霊は主イエスが神であり愛する御子であることを証します。

 「愛する」と訳されているギリシア語は、御父が御子に対して用いるとき、愛するかけがえのない独り子という意味合いを持ちます。この後、唯一の神の御子イエスは、人の罪を贖うための十字架の道へと真っ直ぐ向かわれます。人びとに虐げられ、罵られながら、十字架の上で、主イエスは命を献げ、神の御心を成し遂げられました。唯一の御子の命が、死せる者を生きる者へと生き返らせる道を開いたのです。

 きょう、私たちは愛する神の独り子、御心に適う者である主へと礼拝を献げます。そこで新しい命の恵みをいただき、神から愛される子として御心に適う歩みをなしたいと願います。

 【祈り】 父なる神よ。私たちが、あなたから愛されている子として御心に適う歩みをなせるように強めてください。

Copyright (C) 2024 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.