イザヤ1章 反抗する者に呼びかけられる主の赦し
論じ合おうではないか、と主は言われる。
たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
雪のように白くなることができる。
…
主の口がこう宣言される。(イザヤ1:18-20)
神はイザヤへの幻を通して、ユダの支配者と民を告発されます。これまで愛情をかけて養い育ててきたにもかかわらず、あなたがたは主を軽んじ、平気で悪を重ね、神に背を向けた。それゆえ、自らに破滅を招き、民は傷つき、国は荒れ果てているのだ、と。ここに現れているのは、ユダの民と国の絶望的な姿と、罪に対する神のまっすぐな姿勢です。同時に、神が罪深いユダに対してなおも愛をもってエルサレムを残し、希望を未来へと繋ぐ方であることを告げています。
続けて神は、礼拝についても告発されます。彼らの礼拝は真実の伴わない形式的なものとなっており、汚れた心と神を畏れない心で、神に従うことを拒む彼らの礼拝を受け入れないと拒絶されます。しかし、神は民に呼びかけます、「論じ合おうではないか」と。どれほど神の民が罪を犯して神をないがしろにしても、神は開かれた方として民に赦しの道を差し出され、悔い改めを迫ります。ここに人を赦そうとされる神の忍耐と愛があります。そしてキリストにおいて成就した完全な赦しの道が今、私たちにも開かれています。
神の裁きは、苛烈に民を責めますが、同時に赦しをもって悔い改めを迫ります。神の望みは滅びではなく、悔い改めて命を得ることだからです。
【祈り】 神よ、わたしの罪をお赦しください。主イエス・キリストの血によって雪より白くしてください。
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